社団法人滑川青年会議所2010年度直前理事長のWEB日記です。2009年度の理事長ブログから引き続き掲載しております。
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ブロック協議会
11月30日、富山青年会議所の橋本淳君の公益社団法人日本青年会議所(日本JC)の副会頭就任を祝う会がオークスカナルパークホテル富山で開かれました。
橋本君とは、2008年度に富山ブロック協議会で役員を務めました。橋本君は富山ブロック協議会の会長として、私は副会長として。当時の同期の役員ほか橋本君の同期理事長、北陸信越地区協議会会長時代の地区協議会役員など、現役としては当時ともに頑張ってきた仲間が来訪JCして招待されたようです。富山JCシニア会を含め総勢350名以上の盛大な会でした。
発起人のご挨拶や、この盛大な会を見ていると、副会頭という日本JCの正副会頭という役職の重さが伝わってきます。日本JCの副会頭は、過去約60年間に富山県からは過去に橋本君を含め3名しか輩出していないそうです。それもすべてが富山JCということからもなかなか簡単にはいかないということです。
橋本君の経歴は、入会以来10年間、前半はごく普通のメンバーだったようですが、後半は怒涛のどとく王道を突き進んでいます。次年度は最終年度として、富山の代表として精一杯頑張ってくれるものと確信しています。
宴がお開きとなったあとは、2008年度役員の同窓会を開催し、橋本会長(当時)を改めてお祝いしました。半分、野上監事(当時)の独壇場にはなっていましたが。。。
最後に、橋本君からメッセージをいただきましたので紹介します。
本日は、師走を目の前にした大変お忙しい折にもかかわらず、ご臨席を賜り誠にありがとうございました。この度、皆様のおかげをもちまして、公益社団法人日本青年会議所の副会頭を務めさせていただくことになりました。入会から今日まで皆様から頂戴した様々な叱咤激励のお言葉を胸に、富山JCの名を汚すことのないよう、微力ながら日本JCの正副の一人として職責を果たしていく所存でございます。そして、皆さまから頂いたご恩を少しでも富山JCに、故郷とやまにお返しできるよう努めて参りますので、1年間、どうぞ宜しくお願いいたします。
最後になりますが、今後とも変わらぬご指導、ご鞭撻をお願い申し上げますとともに、皆様の今後益々のご健勝とご多幸を心よりご祈念申し上げます。
橋本君とは、2008年度に富山ブロック協議会で役員を務めました。橋本君は富山ブロック協議会の会長として、私は副会長として。当時の同期の役員ほか橋本君の同期理事長、北陸信越地区協議会会長時代の地区協議会役員など、現役としては当時ともに頑張ってきた仲間が来訪JCして招待されたようです。富山JCシニア会を含め総勢350名以上の盛大な会でした。
発起人のご挨拶や、この盛大な会を見ていると、副会頭という日本JCの正副会頭という役職の重さが伝わってきます。日本JCの副会頭は、過去約60年間に富山県からは過去に橋本君を含め3名しか輩出していないそうです。それもすべてが富山JCということからもなかなか簡単にはいかないということです。
橋本君の経歴は、入会以来10年間、前半はごく普通のメンバーだったようですが、後半は怒涛のどとく王道を突き進んでいます。次年度は最終年度として、富山の代表として精一杯頑張ってくれるものと確信しています。
宴がお開きとなったあとは、2008年度役員の同窓会を開催し、橋本会長(当時)を改めてお祝いしました。半分、野上監事(当時)の独壇場にはなっていましたが。。。
最後に、橋本君からメッセージをいただきましたので紹介します。
最後になりますが、今後とも変わらぬご指導、ご鞭撻をお願い申し上げますとともに、皆様の今後益々のご健勝とご多幸を心よりご祈念申し上げます。
2011年度 公益社団法人日本青年会議所
副会頭 橋本 淳
副会頭 橋本 淳
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13日は公益社団法人日本青年会議所(日本JC)北陸信越地区富山ブロック協議会第2回全体会議が開催されました。
富山ブロック協議会は、年間2回の全体会議と1回の会員大会をブロック内のメンバーが一同に会する機会を設えています。日本JCが公益社団法人を取得して初めての全体会議です。今後一層公益性を求められるため親会である日本JCの指導により、下部組織であるブロック協議会はこういった機会を奪われる形になると聞きました。
富山ブロック協議会は、日本中でも類を見ないブロックであり、もともと「とやまはひとつ」といった一県一青年会議所の設立精神が現在まで受け継がれています。(全国では各地域で青年会議所が設立され、それが集まってブロック協議会がを設立。富山県は、県内の青年が一同に会して富山縣青年会議所を設立し、それが拡大分離して地域に広まりブロック協議会となった経緯があります。)
さて、この全体会議は毎年ブロック協議会の事業報告を兼ねて交流会で卒業式を行っています。(これも来年から公式事業としては行えないようで、形を変えてやっていくと聞きました。)
今年からは富山ブロック内の青年会議所の報告の時間がなくなり、その代わりアワード(褒章)事業を行いました。狙い(目的)としては、各地で行っている事業をお互いに参考にしより良い事業に発展させていくことみたいです。時間の問題で選考理由や事業内容などが伝わったかは疑問ですが、取組としては今後発展性を感じました。滑川青年会議所からは、まちづくり部門として「ねぶた流し」をエントリーしました。残念ながら受賞はできませんでしたが。
そして会議は終了し、交流会卒業式へ。
卒業生は、昭和45年生まれの40歳を迎えるメンバーです。私もその一人で、富山ブロック内に112名います。最初は、卒業生だけで乾杯し盛り上がっていました。また、過去に一緒に出向した委員会メンバーや役員たちにも卒業を祝ってもらいました。
後半、卒業生登壇となり、入会年度の浅い順に森ブロック会長から一人ひとり紹介され登壇します。全員が登壇した後、卒業生へ次年度会長の開章夫君より送辞を述べられました。(実は開君は卒業生と同級生なのですが、早生まれのため来年に卒業となりますので)若干羨ましさみたいな気持ちも伝わってきました。
そして卒業生総代は黒部の黒豹こと中野隆志君です。理事長経験者(私と同期の理事長)でもあり、JC歴も申し分なく誰もが納得の男です。その男は、徐々に卒業生、そしてメンバーの心を動かす答辞スピーチをされました。途中から涙が止まりませんでした。素晴らしいスピーチでした。
全国大会でも卒業式を行いましたが、そんなに実感がわきませんでしたが、今回は「もう卒業なんだ」という実感が徐々に湧いてきています。
2週間後は、滑川青年会議所の卒業式が控えています。そしてほんとに卒業となります。(まだ役員として理事会などもありますので、12月末まではメンバーですが。。。)
今一度自分に問いかけます。「やり残したことはないか?」
あと1ヶ月半でJCライフは終了です。
富山ブロック協議会は、年間2回の全体会議と1回の会員大会をブロック内のメンバーが一同に会する機会を設えています。日本JCが公益社団法人を取得して初めての全体会議です。今後一層公益性を求められるため親会である日本JCの指導により、下部組織であるブロック協議会はこういった機会を奪われる形になると聞きました。
富山ブロック協議会は、日本中でも類を見ないブロックであり、もともと「とやまはひとつ」といった一県一青年会議所の設立精神が現在まで受け継がれています。(全国では各地域で青年会議所が設立され、それが集まってブロック協議会がを設立。富山県は、県内の青年が一同に会して富山縣青年会議所を設立し、それが拡大分離して地域に広まりブロック協議会となった経緯があります。)
さて、この全体会議は毎年ブロック協議会の事業報告を兼ねて交流会で卒業式を行っています。(これも来年から公式事業としては行えないようで、形を変えてやっていくと聞きました。)
今年からは富山ブロック内の青年会議所の報告の時間がなくなり、その代わりアワード(褒章)事業を行いました。狙い(目的)としては、各地で行っている事業をお互いに参考にしより良い事業に発展させていくことみたいです。時間の問題で選考理由や事業内容などが伝わったかは疑問ですが、取組としては今後発展性を感じました。滑川青年会議所からは、まちづくり部門として「ねぶた流し」をエントリーしました。残念ながら受賞はできませんでしたが。
そして会議は終了し、交流会卒業式へ。
卒業生は、昭和45年生まれの40歳を迎えるメンバーです。私もその一人で、富山ブロック内に112名います。最初は、卒業生だけで乾杯し盛り上がっていました。また、過去に一緒に出向した委員会メンバーや役員たちにも卒業を祝ってもらいました。
そして卒業生総代は黒部の黒豹こと中野隆志君です。理事長経験者(私と同期の理事長)でもあり、JC歴も申し分なく誰もが納得の男です。その男は、徐々に卒業生、そしてメンバーの心を動かす答辞スピーチをされました。途中から涙が止まりませんでした。素晴らしいスピーチでした。
全国大会でも卒業式を行いましたが、そんなに実感がわきませんでしたが、今回は「もう卒業なんだ」という実感が徐々に湧いてきています。
2週間後は、滑川青年会議所の卒業式が控えています。そしてほんとに卒業となります。(まだ役員として理事会などもありますので、12月末まではメンバーですが。。。)
今一度自分に問いかけます。「やり残したことはないか?」
あと1ヶ月半でJCライフは終了です。
9月26日、新川青年会議所創立40周年記念式典が魚津市ホテルグランミラージュににて開催され出席してきました。新川青年会議所(設立当初は魚津青年会議所)は40年前に富山青年会議所から拡大分離し日本で447番目の青年会議所として誕生しました。(われわれ滑川青年会議所はこの魚津青年会議所から拡大分離してスポンサーシップにより設立しています。)
式典のテーマは「百花繚乱」。この混沌とした時代に優れた多くの若者が集い、地域のための活動を行うことを意味しているようです。
大江理事長の緊張した挨拶も式典ならではのプレッシャーからですし、歴代理事長が壇上に上がられるのも周年の式典の雰囲気を感じることができます。40年の歴史を振り返るとともに、変えてはいけないものと変えていくべきものを見極め、これから節目に向けて行動していく、そんな意味が周年の式典にはあります。
富山県内には、同様に40周年を迎える青年会議所があります。高岡青年会議所、となみ青年会議所、そして新川青年会議所です。この3つは富山青年会議所を設立したときの一縣一青年会議所の設立精神を引き継ぎ、拡大していきました。すでに残りの2つは40周年式典を終えていますが、それぞれ歴史をもって地域に根ざした活動をしてきました。
そのような記念すべき日にメンバーとともにお祝いをするとともに、これから3年後に訪れる滑川青年会議所創立40周年に向けてその姿をイメージしています。
富山ブロックからの方針等の説明のあと質疑応答に入る。
ブロックへ監査担当役員として出向している細川監事から一人1つ以上質問をするようにとの指令があり、滑川JCの役員は基本資料から質問を考えてきたようだ。質疑応答が始まると、ほぼ全員から手が一斉にあがり、ブロック役員からは「おー!!」との歓声が。
各質問者は、しっかりとした質問をしており、非常に良い時間となった。ちなみに私もでしゃばって最後に憲法タウンミーティングについて質問させてもらいました。(担当の南委員長、小林副会長怒らないでくださいね^^;)
会議終了後、懇親会を開催。会議で話せなかった内容をオフの時間で語り合った。
森会長の掲げられるスローガン「覚悟からはじまる頼もしいJAYCEE 『結い』の精神が創るふるさと富山の輝く未来」にもあるように覚悟をもった行動をしていかないと未来はない。
ブロック役員の皆様、ありがとうございました。
富山ブロック協議会は1970年に富山青年会議所から高岡青年会議所、となみ青年会議所、魚津青年会議所が拡大分離し発足した。今年で40周年を迎える。
「富山の発展は全県レベルで考えるべき」という「一県一青年会議所の設立精神」が今でも脈々と受け継がれている。全国的に見ても例がない特徴をもつらしい。
昨年度も安里会頭が全国を回って、「富山ブロック」は全国一と全国のブロック会長の前で太鼓判を押したほどだ。また、人口に対する会員比率が全国1位、昨年度実施した領土問題意識醸成署名活動においても目標達成率1位などJC活動について積極的に行っている。
この後交流会も開催され、前年度の張田会長に対して感謝状の贈呈。張田会長お疲れ様でした
このような激動の時代になりこの活動や仕事に関しても最近忘れていること、それは「夢を語り合うこと」と橋本顧問(昨年度北陸信越地区会長)が乾杯の挨拶で言われた。業績100%UP、工場や設備の増設したいなど、将来こうなりたいという夢を描くことが大事。JC活動は「明るい豊かな社会」という崇高な理念がある。
今後は、企業人としてもJAYCEEとしても夢を語り合うことを思った。
明日は、滑川市長選挙の告示日。先週、公開討論会を行ったが、現職と新人の一騎打ちになる模様。滑川の夢を語りあい、良い滑川にしていかねばならない。
また、明日は「北方領土の日」。ブロック協議会では、昨年度に引き続き署名活動を行う。
プロフィール
(社)滑川青年会議所 直前理事長
清田 博明
性別:
男性
自己紹介:
社団法人滑川青年会議所2009年度第36代理事長のブログから引き続き2010年度直前理事長ブログとして書いております。
2009年度に掲げたスローガン「勇気をもって踏み出そう」を心の中で唱えながら、本年も地域のために一歩ずつ歩んでいきます。
2009年度に掲げたスローガン「勇気をもって踏み出そう」を心の中で唱えながら、本年も地域のために一歩ずつ歩んでいきます。
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