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富山ブロック協議会、そして各地会員会議所理事長、専務理事が富山の地に集結した。張田会長の挨拶のあと、担当の福岡委員長より事前説明のあと、二手に別れ実施。
私が配置されたのは富山市西町~総曲輪通りの商店街アーケードであったが、店の邪魔にならないように注意しながら居場所を探す。一部では営業妨害になるというので、注意もあったようだ。
この日は「北方領土の日」ということもあり、道行く人それぞれ思いはあるようだ。ただ、北方領土を返還要求そのものの署名ではない。国に対して海洋省の設立と離島等特別措置法の成立の要求の署名である。
比較的年配の方には、よくわからないといいながらも署名の協力をもらうことができた。しかし、若い方にも想像以上に署名に協力もらうことができた。中には自分の名前を書くのがやっとの男の子にも署名してもらう(親の了解のもとに)場面も見られる。家族で署名してもらえることは非常にうれしく思う。
ただ、大半は「忙しい」「わからない」と拒否され、問題が浸透するにはまだまだという感じである。
もう一方のショッピングモール・ファボーレ班の報告はまだ聞いていないが、まずまずといったところであろうか。やってみての感想、反省点も見えてきたので次回の署名のときに活かすことができれば今日の収穫になると思う。
次回は2月22日(日)竹島の日にも全国一斉署名運動を実施する。
この日の由来については、ソ連が択捉島への進駐を開始した8月28日などいくつかの候補があったが、最終的に、1855年(安政元年)に日本とロシア(当時は帝政ロシア)との間で最初に国境の取り決めが行われた日露和親条約が結ばれた2月7日に決まったらしい。
この日を中心として全国的に集会、講演会、研修会等の行事を行い、この問題に対する国民の関心と理解を更に深め、全国的な北方領土返還運動の一層強力な推進を図るということだ。富山県は先週日曜日に、記念大会を行っている。
富山県は、北海道についで引揚者が多い県であり、他県よりも意識が高い。とはいうものの、それも一部であり、県民全体に広がっているわけではない。
本日は、日本青年会議所の一斉署名運動の日だ。富山ブロック協議会でも、県内2か所で署名運動を行う。領土問題に関する署名運動は初めてだが、市民の皆さんの反応がどのようなものか。不安である。
先日、新聞等で滑川市の市歌が変更される記事があった。
歌詞の一部が差別用語だということだそうだが、市制55周年の節目の時期に改正となった。市歌は市の行事の成人式、市民体育大会などで歌われてるので知っているが、問題となっていることは知らなかった。
記事として読んだとき、確かに「表日本」「裏日本」は使わなくなった。私が小学生のときは、社会で日本海側は裏日本と習った覚えはある。特に差別と思ったこともないが、違和感を感じる方もいるのも事実。
歌の歌詞を変更するということに賛否両論はあるだろうが、市民に慕われている歌としてはそれもありなのだろうか。これが、メジャーな歌詞であれば、紛糾するのかもしれない。
時代に合わせて歌詞も改正されるこの現代、時代に左右されない普遍的なものを追求していく必要を感じる今日この頃である。
---------北日本新聞記事20090204-------------
先日の昭和二十九年の市制施行以来、滑川市民に歌い継がれてきた市歌「滑川市の歌」(作詞・高島高、作曲・信時潔)について、市は歌詞の一部を改めた。日本海側の蔑称(べっしょう)とされる「裏日本」という言葉が含まれていたためで、市民の指摘もあり、歌詞中の「裏日本に」という表現を「広く日本に」に改訂した。
「滑川市の歌」は市制施行を記念して作られ、三番まである。成人式など市の行事で歌われ、長年にわたって市民に親しまれてきた。
今回、問題となったのが、二番の歌詞の一節「裏日本に覇を称(との)う」の「裏日本」。明治以後、近代化の進んだ太平洋側と比べ、経済的に遅れた日本海側を指す言葉として定着していたが、差別的な意味合いを持つとして、現在はほとんど使われていない。市民からも「不適切ではないか」「違和感を覚える」などの声が上がっていたため、市は市制五十五周年を迎えた本年度、歌詞を改めることにした。
作詞した高島氏の遺族の承諾を得て、市内の有識者による懇談会で新しい歌詞を協議。元の歌詞が持っていた古里を誇りに思う気持ちや、歌いやすさなどを考慮し、「広く日本に覇を称う」に決めた。
市は「狭いエリアにとらわれず、日本全土に向けて発展していく意欲も歌詞に込めた」と話している。
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関連ブログ
高木えつこの「滑川市議会ちゃどんなとこけ?」
「滑川市の歌」の歌詞が変わる
いわゆる男女共同参画社会を目指した話し合いであり、市内団体の代表者14名からなる。今回は我々滑川青年会議所も声がかかり、参加させていただく。約3回の懇話会を経てプランが策定されていく予定。平成9年度に1次プランを作成してから10年、改訂の時期ということでこの先10年のプランを策定するために意見を集める。10年間のプランであったが、あまり市民に浸透していないというのが感想である。
まず、懇話会委員に中屋教育長より委嘱状の交付が行われる。
引き続き会長、副会長選出となり、野末孝氏(滑川市ひかりのプラン推進員会会長)が会長に、細田福子氏(滑川市女性団体連絡協議会会長)が副会長に選出される。
そして意見交換会が行われるが、それぞれの立場において発言し、10年後までのプランについて追加、削除、変更する箇所を話し合う。その中で作成されている冊子について、「よくできているが、量が多すぎるのでほとんどの人は読まないのではないか。この半分くらいのボリュームにして重点項目に絞ってみては。」という意見も出た。
役所に限らず、結果を形に残す傾向があるが、本来の目的はこれを広めることであって、冊子を作ることではない。10年前の資料が改定される時期であれば、10年間の結果を踏まえ全体を改定していく必要があるのではないかと感じる。
次回は2月26日に第2回懇話会が開催予定である。
昨日は、ふるさと龍宮まつり実行委員会の終了後、2月度の正副理事長会議に出席。
3月度例会開催の審議議案と、4月度例会開催の協議議案、わんぱく事業の協議議案がメインの会議内容となる。本来は、1月の末に開催する予定であったが、諸事情により遅れての開催となった。
3議案ともチェックが入ったのが、事業にいたる背景と目的の関連。まだまだ検討の余地ありということで、修正の指示が出る。定例理事会まで日がないので、大筋の確認を行い、来週木曜日の定例理事会議の日までに修正し再度正副理事長の確認の上理事会へ上程することとする。
議案書の本来の目的は、自分の思いをはっきりさせ、そのための目的や手段を文字にして相手に伝えること。相手に伝わらない議案書は何かに欠けていると考えるべきだと思う。上程者は、目的を達成するために手段があるという原理原則を肝に銘じておき、決して逆にならないように注意。
記述が少なくて伝わらないこともあれば余計なことを書きすぎて伝わらないこともある。すべてはバランスが重要だということだ。
相手に伝えるということにおいて、会話、文章など様々な方法があるが、どの方法でも伝わるように日々修練と自分にも言い聞かせる。
2009年度に掲げたスローガン「勇気をもって踏み出そう」を心の中で唱えながら、本年も地域のために一歩ずつ歩んでいきます。