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結果として新人の上田昌孝氏が現職の中屋一博氏を2000票近くひき離し当選した。実際選挙期間中もどちらが当選するか分からないほど接戦していたことは事実であり、開票速報で聞いた結果を見て市民の選択はこっちだったかと思った。私も一市民として投票したが、市民は滑川の未来に対して何を託したのだろう?
気になるのは、投票率。65.85%で8年前の2002年の時より下回っている。関心があるようでなかったのか、投票行動に結びつかなかったのが残念。
今回の両者の論点は市の財政問題。財政難の中での無駄を省く財政の引き締めがどれだけできるだろうか?体制を急に変えると抵抗勢力も出てくる。そういったしがらみの中でのスタートとなるだろう。
上田新市長の思い通りの政策ができるのかどうか、今後の動向が気になる。
◆◆読売新聞◆◆
投票率は65・85%で、2002年の73・24%を下回った。
上田氏は、昨年11月に立候補を表明し、所属していた自民党を離党。「危機的状況にある市財政を立て直す」として「市長給与の3割カット」や「市長退職金の全廃」を掲げたほか、中学3年までの入院通院医療費の無料化による「子供第一主義」を訴え、地元柳原地区を足場に草の根運動を繰り広げ、幅広い支持を獲得した。
滑川市柳原の上田氏の事務所には、午後10時過ぎから富山市の森雅志市長らが続々と訪れた。同10分過ぎに沢谷清選対本部長が「当選しました」と宣言すると、集まった支援者らは両手を突き上げて歓声を上げた。上田氏は支援者と握手を交わしながら登場。「後援会のない前例のない選挙。中学3年までの医療費無料化など子供政策を中心に、財政再建などを強く訴えてきた。皆さんが主役となる滑川市政を率いていく」と目を潤ませながら話し、その後、沢谷選対本部長らの音頭で万歳三唱した。
ただ、厳しい経済状況の中、市税収入の伸びは期待できず、選挙中に訴えてきた財政の改革は容易ではない。市の財政規模に対する借金の返済割合「実質公債費比率」は、すでに21・8(2008年度決算)と県内市町村で5番目に悪く、財政の硬直化は明らかだ。
上田氏は、公共事業に頼らず、「福祉政策を充実させ、移住によって人口増加を目指す」と訴えてきたが、選挙戦では現市政批判が中心で、どのような市政の展望を描いているのか、まだ明確でない。その方向性を早期に示すことが求められている。(安藤康子)
◆◆北日本放送◆◆
上田新市長の滑川市政への抱負と課題を、お伝えします。
滑川市長選挙で上田さんは、9884票を獲得し現職に2000票近い差をつけて初当選しました。
「滑川を変えよう」を合言葉に、いまの市政への批判票も取り込みました。
上田さん「これは私が訴えました、財政健全化、このことについて、市民の皆さんが、関心を持っていただいたというふうに思っています。」
滑川市は、今年度の予算総額が一般会計で108億円なのに対し、借金の総額はおよそ293億円です。
上田さんは財政は危機的状況だとして、建て直しを訴えています。
「私は、財政健全化のための条例をまず、制定したいと思います。そして、財政運用の規範というものをつくる、しっかり立てる、そこで、乱暴な器に見合わないものはやらない、そして税収の動向をみながら、こういう状態だったら、これくらいのもの作れると、こういう状態なったらこれくらいのもの作れると、そんな規範を作って、財政を安定した運用をするという形にもっていきたいと思っています」
また、上田さんは選挙に出馬を表明してから、市内のほぼすべての世帯を回ったところ、子育てへの支援を求める声が多かったといいます。
「私、子供第一主義だと、そして、子供と子供の親に対する、総合支援をやりたいと、そして教育委員会と福祉課、これ2本立てでありますけど、子ども課をつくることで、ひとつの窓口で、子供の相談が全部できると、処理が全部できると、そういうふうにしたいと思っています。」
さらに子育て支援に関して上田さんは、中学校3年までの入院・通院の医療費を無料化するほか、厚生連滑川病院の産科医を2人体制にすることを目指して働きかけるとしています。
「要するに子供を安心して産める、そして、子供をちゃんと育てる町、そんな滑川の印象を内外に示すことで、若い外からの若い親が滑川に移り住んでくれる、そんなまちにしたいんです。」
市の財政再建をきちんと行ったうえで、滑川の今後の発展を考えたい。
上田さんは、今後4年間の任期を、その基礎作りにしたいといいます。
「財政再建がメインでありますから、これをしっかり立て直すことによって、その次の時代の人が、そういう大きな構想にぶつかっていけると、その基礎づくりのための、その基礎体力をつけるための上田だと思っています。」
今回の選挙では、市議会議員16人のうち、8人が現職を支援しました。
自らの施策について、市議会の理解をどう得ていくかも課題です。
市民の声をどのようにして実現し、思い描くまちづくりを進めるのか、66歳の新しい市長の手腕に市民は注目しています。
例会及び事業の協議事項と報告である。1回目の協議であり、実施に至る背景や目的に対して理事から意見が出た。「何のために行っているのか」が不明確であるということ。
手段ありきの議案であるので、ぶれが生じる。しっかりとした目的に対して「この手段しかない」という方法をとっていきたい。それが本来のJCの議案であり、これはJCに限ったことではない。
そういったことを学んでいくことが、会員の資質向上につながるのではないかと思う。
≪会議の内容≫
協議1 4月度例会開催に関する件
協議2 新入会員研修ニューLIA開催に関する件
協議3 6月度例会わんぱく相撲ほたるいか場所開催に関する件
報告1 ロバート議事法勉強会開催に関する件
報告2 ブロック会長公式訪問に関する件
報告3 領土問題意識醸成に関する件
先日ご紹介した連載の続きです。
http://mytown.asahi.com/toyama/news.php?k_id=17000001002090003
開発から調和へ【下】滑川市長市長選
下水道整備 重い負担
実質公債費比率、改善へ
郊外へ拡大 宅地開発
滑川市は、JRのほか国道8号や県道富山滑川魚津線などで富山市と結ばれる。交通の便の良さを背景に、郊外で宅地開発が進み、県都のベッドタウンは国道8号沿線にも広がった。その開発が、市の財政の重荷となっている。
宅地開発に合わせ、市は1979年度から下水道事業に着手した。1036ヘクタールを対象に2015年度までに整備を終える計画。だが、市の08年度決算で、すでに下水道事業の市債残高(市の借金)は約123億円に達し、一般会計(約111億円)を上回る。
多額の借金は、郊外の農業地帯に宅地が拡大したため、住宅密度が低くなり、建設コストがかさんだのが原因だ。返済には下水道使用料をあてるが、市財政課は「コスト増の結果、使用料も高くなりなかなか普及しない」と話す。そのため、市は一般会計からここ数年、6億円前後を繰り出して同事業の借金返済にあてている。
県によると、同市の実質公債費比率(自治体の収入に対する借金返済の割合)は21・8%(08年度決算)。財政健全化への取り組みが必要な早期健全化基準(25%)は下回ったが、県内15市町村で5番目の高さだった。
滑川市では90年代半ば以降、「ほたるいかミュージアム」と「深層水体験施設タラソピア」が建設された。財源には約31億円の起債をあてたため、一般会計の市債残高が増え、00年度には約150億円に。06~07年度に償還のピークを迎え、実質公債費比率を押し上げる一因となった。財政課の試算では、すでにこれらの起債償還が終わり、同比率は09年度単年では17・9%まで下がる見込みという。
だが、下水道事業の整備率は57%(06年度末)で、借金返済と同時に、浄化センターの増設や古くなった下水道管の改修のため、しばらくは新たな起債も続ける「自転車操業」は避けられそうにない。
県は04年に作成した「滑川都市計画区域マスタープラン」の中で、「用途地域が定められていない『白地地域』においては、今後の人口動態などを見据えつつ、地区計画や土地利用を運用していくことで、農村集落との調和が可能」と指摘した。開発の波に乗り、大型の公共事業を進めてきた滑川市は、大きな曲がり角にさしかかっている。(おわり=井上潜)
(2月9日朝日新聞より引用)
朝日新聞に滑川市についての記載がありましたので紹介します。
http://mytown.asahi.com/toyama/news.php?k_id=17000001002080002
開発から調和へ【上】滑川市長選
街並み再生に転機
宿場の原点 空き家増え
住民巻き込み古民家改修
明治初期に建てられた滑川市瀬羽町の古民家でいま、まちの将来像を模索するための準備が進んでいる。
改修が進む古民家には、市民有志が設立した「まちづくり工房」が事務所を構える予定だ。「滑川の原点でもあるこの場所で暮らす方と話をし、街並みを残す機運を広げたい」。事務局の広橋和親さん(47)が、控えめな笑顔で意気込みを語った。
江戸時代から北国街道の宿場町として栄えた旧滑川町。町を東西に分ける中川の河口は、加賀藩の年貢米が積み出された船着き場で、その後も中新川郡の物資の集散地としてにぎわった。瀬羽町など川の左岸は「橋場」と呼ばれ、対岸とともに明治以降に建てられた民家や土蔵が点在する。国の登録有形文化財になっているものも少なくない。
旧滑川町は1953年、周辺6村と合併。翌年には市制に移行した。だが現在、橋場などに残る古い建物の多くは老朽化が激しい空き家だ。通りには通行人も少ない。
郊外での宅地開発などの影響を受け、橋場の表情は1960年代を境に一変した。市がまちなかと呼ぶこれらの地域では、1975年には1万1千人だった人口がその後減り続け、2005年には8千人を切った。高齢化が進み、市全体で約500軒とされる空き家の6割が、橋場など旧滑川町に集中するという。
市は04~07年度、21億円を投資し、JR滑川駅からほたるいかミュージアムや橋場までの地域を対象に、「第1期まちづくり交付金事業」に取り組んだ。ショッピングモール「エール」の隣に、温浴施設や市の高齢介護課などが入る市民交流プラザを建設。人を呼び込み、市中心部で回遊性を高めるのが狙いだった。
まちなかに出店したり、区域外の人がまちなかに家を取得したりする場合に、補助金を出すなどの手も打った。
だが、ほたるいかミュージアムやエールの利用者数は目標に届かず、市も「まちづくり団体との連携により、市街地全体を回遊させるための仕掛け作りが必要」と指摘する。
新年度からは、市民会館大ホールの改修を柱とした「第2期まちづくり交付金事業」が始まる。市に寄付された土蔵の改修や、橋場に親水公園を作る計画も盛り込まれた。市まちづくり課は「土蔵の改修や公園建設を機に、地域でも『私たちも直そう』という思いが広がれば」と話す。
橋場では近く、「滑川宿まちなみ保存会」(仮称)が産声を上げる予定だ。代々まちなかに住む人や家を所有する人たちで設立し、まちづくり工房は事務局を担う。広橋さんは「行政の協力がないとできないこともある。郊外に住む人にも、まちなかの歴史的価値を理解してもらえるかが鍵になる。地道に活動を続けていく」と話している。
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7日に告示される滑川市長選は、8年ぶりの選挙戦となる見通しだ。開発中心のまちづくりが転機を迎える同市の課題を探った。(この連載は、井上潜が担当します)
(2月7日朝日新聞より引用)
2009年度に掲げたスローガン「勇気をもって踏み出そう」を心の中で唱えながら、本年も地域のために一歩ずつ歩んでいきます。